絵画購入なら絵画販売専門店のアートギャラリー南青山
絵画販売専門店 シャガール・ピカソのリトグラフなどの絵画通販サイト
ホーム利用案内当画廊を選ぶ理由会社概要よくある質問お問い合わせカートを見る
RSS
 

美術館に展示されるグラフィックデザイナー ミュシャ

人々に愛され続けている、繊細で美しい作風のグラフィックデザイナー、ミュシャ
ミュシャは、19世紀末から20世紀の初めまで活躍していたグラフィックデザイナーです。 商用のポスターや装飾パネル、挿絵や絵画など、さまざまな形式のものを描きました。 一般には、フランス語読みのアルフォンス・マリア・ミュシャという名で知られていますが、彼の母国語では、ミュシャはムハという発音になります。 ですから、アルフォンス・マリア・ムハというのが、彼の正式な名前だと言えるでしょう。 彼の作品の特徴としては、何らかの概念を象徴する存在として女性が描かれることが多かったことや、花などの植物を多く取り入れたり、なめらかな曲線を用いて装飾的な背景を描いたりしていたこと、スラブ民族の歴史に関することを絵の題材としてしばしば取り上げていたことなどが挙げられます。
いち早く新しい様式を取り入れるミュシャ
概念を象徴する存在として女性が描かれているものとしては、例えば、『四つの宝石』という連作が挙げられるでしょう。 これは、トパーズ、ルビー、アメジスト、エメラルドという宝石の名が冠された4つの絵から成っていますが、どこにも宝石そのものは描かれてはいません。 ただ、女性と、花と、曲線を多く用いた装飾的な背景が描かれているだけなのです。 しかし、この絵を見る者には、それぞれの宝石のイメージが伝わってくるようになっています。 これが、概念を象徴しているということです。 植物などの有機的なモチーフや曲線を多く用いた装飾については、当時、新しい美術として生まれつつあったアール・ヌーヴォー様式の影響を受けています。 彼は、従来の様式にこだわることなく、いち早く新しい美術様式を取り入れて、作品の制作にあたっていたんですね。 また、スラブ民族の歴史をテーマとしてしばしば取り上げていたことは、祖国への愛を表現したいという気持ちを、彼が強く持っていたことの表れだと言われています。
女性を魅了するミュシャの絵画
以上の文の中で「彼」と何度も呼んできたことからもお分かりかと思いますが、ミュシャはれっきとした男性です。 繊細で美しい作風から女性だと勘違いされがちなため、彼が男性だと知った方の多くは「とても驚いた」という感想を漏らします。 ちなみに、彼自身は男性ですが、彼のファンには女性が多いようです。 美術館などでミュシャ展が開かれると、女性の来場客が圧倒的に多くなります。 ただ、もちろん、男性からの人気がないというわけではありません。 男女問わず見る者を引きつけるような、画面として完成された美しさが、彼の描くものには宿っているのです。 現代でも彼の描いたものたちは、美術館の展示物として鑑賞されたり、画集として購入されたり、絵画購入されたりして、人びとから愛され続けています。

ミュシャの複製画で華麗な芸術に浸る

ミュシャの華麗な芸術に浸る
アルフォンス・マリア・ミュシャは、アール・ヌーヴォーの時代に活躍したグラフィックデザイナーです。 その繊細でキャッチーなデザインは現代でも人気が衰えることなく、世界中に今なおたくさんのファンを持つ魅力を持っています。 2013年に行われた六本木ヒルズ10周年を記念するイベントでは、ミュシャ財団秘蔵の作品が日本初公開も含めて240点以上展示されるという大規模なミュシャ展が開かれ、普段美術館では見られない出展に大変な注目が集まりました。 実際に観た人の感想では、19世紀末は思えないほどモダンで洗練された作風で、現在のCGアートにもまったく引けをとらないクオリティと賞されています。
遅咲きのデザイナーだったミュシャ
過去、数多くの美しいポスターや装飾パネルなどの制作を手がけた人物ですが、その生い立ちは決して華やいだものではなく、当時オーストリア帝国領だったチェコ共和国のモラヴィアに生まれた苦学生でした。 もともと絵は得意であったものの、10代のうちから中学校を中退して地方裁判所で働いたり、その後もウィーンの舞台装置工房で働いたりしながら夜間学校へ通って絵の勉強を続けたと言います。絵を描く仕事で初めて世に出たのは、すでに30歳も近い年齢で、サラ・ベルナールの芝居のポスターが出世のきっかけとなりました。 ところがこの出世作が一気にパリで大反響を呼び、同時にサラ・ベルナールの舞台も大成功を収めたことで瞬く間にその地位を獲得したのです。 そのためサラ・ベルナールの舞台と組んだ仕事は多く、その中で「椿姫」や「トスカ」など、誰もが見たことのあるイラストが生まれました。 他にも有名なのはモエ・エ・シャンドン社のシャンパン、ウェイバリー自転車、JOB社のタバコ用巻紙などのデザインで、美しい女性が描かれた独特の作風は、一目で彼の手掛けたものだとわかるオリジナリティを放っています。
世界中のデザイナーの影響を与えたミュシャ
現在日本でグラフィックデザイナーとして活躍する人の中にも、この独特のタッチに大きな影響を受けた人はたくさんいます。 大阪府堺市立文化館ではアルフォンス・ミュシャ館という特設展示を行っていますので、活動初期から晩年期まで、活動の足跡をたどる旅に出かけてみるのも良いでしょう。 ファンは世界中に多く、日本でも数多くの画集や作品集が発刊されています。 リトグラフなので所蔵しているところはいくつかありますが、絵画購入する場合はミュシャ財団などがインターネット上で限定部数販売しているものを購入する方法などもあります。

商業画とすることで多くの人に名画を届けたミュシャ

日本にもおなじみのミュシャの作品の数々
アルフォンス・マリア・ミュシャは画家でありますが、画家というよりも、ヌーボーを代表するグラフィックデザイナーといったほうがより適しています。 日本ではミュシャ展でもおなじみで、インテリアのお店などでも彼の描いた絵のポスターが置かれていたりする事が多々あります。 一般の方でも画集や何かのポスターでその作風をご覧になったことあるはずです。 作風は主に、おしゃれに着飾ったパリの西洋女性を描いている物が多く、モダンアートの画集や、ファッション誌やおしゃれな街角などの宣伝に、使われる事が多いです。
ミュシャの出世作
元々彼が有名になる足がかりとなった作品は1895年に大女優の演劇用の宣伝広告の絵、「ジスモンダ」です。 細かな描写が見るものを魅了し、豪華絢爛な雰囲気を表す絵画として人気を呼びました。 この仕事のおかげで、彼は後にも多々、演劇の宣伝の仕事をする事となります。 後に大金を得たミュシャは出身国チェコにもどって、自国の為に紙幣、切手を無料でデザインしたのですが、この愛国精神がドイツのナチスに逮捕される理由となりました。 4ヵ月後の釈放後、彼は78歳で人生を閉じますが、彼の絵画は今なお、世界各国でアールヌーボーの代表として、広く知られるようになりました。 また、意外なことに日本とのつながりもあり、大坂堺市の文化館内の美術館アルフォンス・ミュシゃ館の中の一部、「ドイ コレクション」の中には、非常に多くの絵画が展示されています。 これは日本人ファンが、個人的に絵画購入したものを展示しているのですが、まだ無名時代の絵画から有名になってからのものまで沢山の絵が見られます。
商業画となることで多くの人に作品を届けたミュシャ
商業のコマーシャルがまだ絵画に頼っていた時代のよき雰囲気を感じることができ、見た方々は一様に「素晴らしい」という感想を持たずにはいられない事でしょう。 「JOB社の煙草」や「自転車」などの宣伝用のものから、1918年に初めてチェコスロバキア共和国で発酵された切手のデザインなど、商業的なものから愛国精神を感じるものまで幅広い絵画があります。 また少し意外なものとしては、ミュシャが挿入絵を書き添えている児童文学書があるのです。 これは「白い象の伝説」というジュディット ゴーティエの作品ですが、ミュッシャの美しい挿入画がふんだんに織り込まれ、普段女性の絵ばかりを描いていた彼のものとは、一味ちがう絵の数々を見ることができます。 これはインクと水彩による多数の原画をカラーで収めているので是非見てみる価値があります。

アールヌーヴォーの代表 ミュシャの連作の魅力

ミュシャの作風と連作について
アール・ヌーヴォー様式を代表する画家がミュシャです。 草花をモチーフとした幾何学的な文様を多く用い、曲線を多用した平面的で装飾的な画面構成などによる作風に特徴があり、現代のコンピュータを用いて描かれたイラストのような印象さえ与えてくれます。 また、モデルの女性など描く対象の個性や特徴を踏まえた上で視覚的な美しさを観る者に嫌味なく感じさせてくれます。 一点ものの絵画ではなく、多くの商業用ポスターや挿絵を制作したことでも有名であり、そのポスターという性質上、作品は一般市民でも購入しやすい値段で市場に出回っていました。 パリで活動していた時に手がけた諸作品は当時大流行となり、画家として確固たる地位を確立しました。
アールヌーヴォーの代表作家ミュシャ
現在でもアール・ヌーヴォー様式の代表格として広く認知されています。 また他のアール・ヌーヴォーの画家(作家)と同様、装飾性の高い平面的表現には日本の浮世絵からの影響が強く感じられることが特徴です。 色彩感覚や草花の表現の仕方など、日本人であれば共感できる点が多いのではないでしょうか?ミュシャは多くの絵画を残しましたが、特に連作を多く残しました。 有名なのは「四季」シリーズや「四つの花」、「四芸術」などであり、いずれも名前から分かる通り四枚の絵によって構成されています。 「四季」のシリーズは装飾パネルの第一作として製作されたものであり、非常に高い評価を得ています。 春夏秋冬それぞれの絵において季節自体が女性として擬人化されており、それぞれの季節感を表しています。 春は花にかこまれて小鳥たちと歌い交わす構図になっており、夏のもの憂げで官能的なポーズと視線が特徴です。 葡萄と菊を飾った金色に輝く秋は実りの季節であることを示しており、冬は寒さにこごえる小鳥を息で暖めているという姿が印象に強く残ります。
四季に見るミュシャの連作の魅力
季節の特性をとらえながらアール・ヌーヴォーらしい装飾性と象徴的でありながら自然な表現で描いていると言えます。 この連作では特に冬の雪をかぶった木に日本美術の表現を取り入れていることが見て取れるのです。 「四季」は四枚でセットでわずか40フランで購入することができ、その美しさから爆発的に売れたそうです。 この成功により、ミュシャは以後版元のシャンプノアから連作での絵画の発表を立て続けに依頼されるようになり、今に至るミュシャのイメージとなっている多くの連作群を残すようになります。 絵画ではなく装飾パネルという大衆芸術は当時まだ発展途上であり、こうした分野におけるミュシャの功績は非常に大きいと言えるでしょう。

ミュシャ展で本物の絵画を見よう

アール・ヌーヴォーを代表する画家ミュシャ
最近日本でもミュシャ展が開催されるなどによって人気のあるアルフォンス・ミュシャについて説明します。 彼はアール・ヌーヴォーと呼ばれる19~20世紀のフランスに起こった美術運動の代表画家とも言える世界的に有名なグラフィックデザイナーです。 アール・ヌーヴォーというのは家具、調度品、絵画、グラフィックデザインなどの装飾に用いられた繊細で美しい芸術です。 花、虫、動物、草、木などの自然に存在するものをモチーフとし自由曲線と組み合わせた表現が大きな特徴です。 中でも彼は独自の作風を確立し、それは「ミュシャ様式と呼ばれるようにもなりました。
ミュシャの生い立ち
ミュシャは1860年にオーストリアで誕生し、聖歌隊に入りながら聖歌集の表紙のデザインを描くなど子どもの頃から絵画に興味を持っていました。 働きながら夜間にデッサン学校に通って絵画の勉強をした彼はエゴン伯爵をパトロンにつけ美術学院に入学します。 卒業後、彼はパリで演劇や舞台のポスターのデザインを次々と手掛け、34歳の時にサラ・ベルナールの舞台「ジスモンダ」のポスターを制作したことで注目を浴びました。 そのほかに挿絵、カレンダー、装飾パネルなど商業デザインをたくさん行っています。 1910年にチェコスロヴァキア共和国に帰国し、祖国の歴史を描いた「スラヴ叙事詩」を制作しました。 彼の絵に批判的なドイツ軍は彼を逮捕してしまいました。 その事も影響してか体調を崩した彼はその後79歳で生涯を終えたのです。 チェコスロバキア共和国は独立し、彼の芸術を愛する民衆によって支援され、今ではその作品は世界的に愛されるようになりました。
ミュシャの絵画を購入しよう
2010年には生誕150年記念としてチェコ、オーストリアなどで記念切手が発行されました。 この記念切手はプラハ城切手など彼のデザインを誓ったものになり、チェコでは彼が切手をデザインしたことにちなんで12月18日を郵便切手の日としています。 彼は日本の美術にも高い関心を持ち、影響を受けました。 また、日本でも彼の技法を模倣した画家によって与謝野晶子らの文学雑誌の挿絵なども描かれるなどファンも少なくありませんでした。 彼のデザインの特徴は、女性をモチーフにして華やかで繊細な装飾が描かれているところでしょう。 もし美術館などでミュシャ展があれば是非足を運んで鑑賞していただきたいです。 優雅で甘美だという感想を持たれることでしょう。 魅力にはまって画集や絵画購入している人も少なくありません。

最高の広告プランナーでもあったミュシャ

ミュシャのポスターを見たことがありますか
ミュシャの絵は、大手百貨店や展示会で、たびたびレプリカが売られています。 オシャレで、モダンな雰囲気を持つミュシャの作品は、2000年頃から始まったアール・ヌーボーの再評価とともに人気が出て、町中でも目にする機会が増えました。 そんな彼の生涯は、どのようなものだったのでしょうか。 そして人気作家になるまでには、どのような経緯があったのでしょうか。
ミュシャが名画を生みだした経歴
アンフォンス・ミュシャは1860年にオーストリア帝国領のモラヴィアに生まれました。 幼いころから絵を描くのが好きで、画家を志していましたが、生活のため中学を中退して地方裁判所で働いていました。 しかし、どうしても画家への夢をあきらめきれなかった彼は、チェコの美術学校への入学に挑戦しましたが入試に失敗。 そこで裁判所を退職し、ウィーンへ向かいました。 ウィーンでは、昼間は舞台芸術工房で働きながら、夜間にデッサン学校に通う苦学を続け、失業するなど大変な困難に出会いました。 しかしパトロンとなるエゴン伯爵に出会ってからは、25歳でエゴン伯爵の援助のもと、ミュンヘン美術院に進学、28歳でパリに出て、アカデミー・ジュリアンに通うという幸運を得たのです。 その後は、雑誌の挿し絵を描くなどして生計を立てていました。
ミュシャの転機となるポスター
そして1895年、35歳の時に彼の転機となった仕事が舞い込みました。 舞台女優サラ・ベルナールの芝居のためのポスターです。 作成した「ジスモンダ」のポスターは、細部にわたる繊細な装飾が話題を呼び、たちまち時の人となりました。 この芝居も大成功で、サラ・ベルナールも一躍有名女優となり、ミュシャもアール・ヌーボーを代表する画家として知られるようになったのです。 今風にいえば、大ブレイクといったところでしょう。 サラ・ベルナールとは6年間の契約を結び、この間に生まれた花と女性の広告群は、ミッシャ様式とまで言われるようになり、アール・ヌーボーの代名詞になりました。 サラとの契約の他にも、タバコやシャンパンの装飾や自転車会社の広告なども作製し、グラフィックデザイナーとして、地位を確立していきました。 アメリカで教鞭を執るなど、名声と富を確立したミュシャは、1910年、50歳で祖国であるチェコに帰国して、プラハ市庁舎の装飾をして祖国のために大きく貢献しました。 財政難の祖国のために、切手や貨幣のデザインを無償で行うなど祖国に貢献した彼は、今でもチェコ市民に大変に愛されています。

リトグラフにより絵画の世界を大きく変えたミュシャ

人々を虜にする巨匠ミュシャの芸術
芸術の秋というと、普段は行かない美術館に足を運んでみる良い機会になるでしょう。 勿論秋に関わらず芸術に触れる事は自分の心を豊かにしてくれるので、積極的に触れるのがよいとされています。 しかし、何も知らないまま美術館に行って絵画を見ても面白くないかもしれません。 やはり事前にある程度知識を持っていた方が、よりその画家や絵画について理解する事が出来るでしょう。 理解してこそ初めて絵画の面白みが深まるのです。 アルフォンス・ミュシャは1860年に現在のチェコ共和国で生まれ、19世紀末から20世紀初頭にかけて花開いたアール・ヌーヴォーと呼ばれる様式の代表的な画家です。
新しい芸術を創り出したミュシャ
そもそもアール・ヌーヴォーとは、フランス語で「新しい芸術」という意味です。 「産業革命が行われて以降、粗悪になってしまった実用品に芸術性を取り戻す」というコンセプトの元、ヨーロッパやアメリカでおこった芸術運動をさします。 なおアール・ヌーヴォーは、日本の浮世絵など日本美術の影響をとても受けています。 またその作風の特徴はつる草のように、うねる曲線を多用して組み合わせたという点です。 彼の絵を見てみると、その多くで女性の長く美しい髪をうねらせているのが分かるでしょう。 ミュシャは数多くの商業用ポスターや挿絵を制作しましたが、彼を一躍有名にさせたきっかけは、当時の有名女優サラ・ベルナールが主演する戯曲「ジスモンダ」のポスターを手がけた事でしょう。 ミュシャはそこから次々に「椿姫」や「メディア」「ジョブ」などを製作します。 他にも洗剤やビール、鉄道会社や自転車など幅広い分野を手掛けました。
リトグラフ技法の発明
また彼の作品の多くはリトグラフという版画技法で作られています。 これは18世紀末に発明された新しい版画の技法です。 表面が平らなので版が長持ちする為、大量に安く刷る事が可能でした。 これにより完成度の高い美しいミュシャの作品が手ごろな値段で誰にでも購入できたので、更に人気は高まりました。 そして彼の手がけた装飾パネル には「四季(春・夏・秋・冬)」「四芸術(ダンス・音楽・絵画・詩)」「四つの宝石(トパーズ・ルビー・アメジスト・エメラルド)」などの連作も非常に多いです。 これは日本の屏風に似た作風で、アール・ヌーヴォーの特徴がよく表れています。 画家として知られるミュシャですが、その他にも才能を存分に発揮し、アクセサリーや商品パッケージ、食器のデザイナー、彫刻家としても活躍しました。

宣伝用デザインのプロフェッショナル ミュシャ

アール・ヌーヴォー様式を代表するグラフィックデザイナーミュシャ
日本でもアートの世界は限りなく人の心を掴み、もう、かなり前からこの方面の職業に就こうと志す若者たちが増えているのが現状です。 その中でもグラフィックデザイナーに魅力を感じて、その道の学校へ歩む人も今では珍しくはありません。 それだけこの分野は多くの人たちに受け入れられているのでしょう。 アルフォンス・ミュシャは、アール・ヌーヴォー様式を代表する芸術家ですが、このグラフィックデザイナーの巨匠でもあるのです。 彼の作風は典型的なアール・ヌーヴォー様式でした。 その大きな特徴と言えるものは、たとえばモデルを描こうとするとき、その対象となる人物の個性や特徴を正確に捕え、独特のタッチで描きます。
グラフィックデザイナーとしてのミュシャ
それらの絵は多くの商業用ポスターや装飾パネル、カレンダーなどに採用していました。 当然のことですが、これは大流行となり、ここで彼は画家として名を不動のものにしたのです。 ちなみに現役のグラフィックデザイナーたちがこれらの作品を見た感想は、皆、装飾性の高いその平面的表現に驚かされています。 グラフィックデザイナーという職業のミュシャですが、彼が手がけたイラストレーションとデザインで特に広く認められているものは、『ジスモンダ』を始めとして、『黄道12宮』、『4芸術』などがあります。 さて、彼の生い立ちですが、彼が生まれたのはチェコスロバキア南方モラヴィアのイヴァンチッツェ。 中学校では教会の聖歌隊として活躍していたそうです。 そして、19歳でウィーンに行き、ここで舞台装置などを扱う工房で働きながら、夜にデッサン学校に通っていました。 きっとこのときには将来的には絵を描くことを心に決めていたのでしょう。 25歳のときにミュンヘン美術院に入りました。
広告ポスターの宣伝用デザインのプロフェッショナル
その後、有名な女優が出演する戯曲のポスターを手がけ、これが当時、大きな反響を呼びます。 どうやらここから彼はグラフィックデザイナーとして活躍し始めたようです。 ミュシャが商業用として創作したデザインは、この戯曲のものだけではなく、他にもたくさんあります。 たとえば、煙草用巻紙やシャンパン、そして自転車などの宣伝用デザインなど。 そして、それらには共通する特徴があるのです。 それは女性と様式化された装飾の豊かな組み合わせ、というもの。 これはまさにミュシャの得意とする技法です。 また彼はこうした商業用デザインだけでなく、油彩画でも多くの作品を残しています。 美術館でのミュシャ展や絵画購入も人気で、画集などもあります。

サラベルナールのポスターで有名となったアルフォンスミュシャ

アルフォンス・ミュシャのチェコへの愛国心
アルフォンス・マリア・ミュシャは、フランスの有名女優だったサラ・ベルナールのポスターで知られている、アールヌーボーを代表する作家です。 みなさんも曲線を多用した花のモチーフに囲まれている女性が描かれた優雅でモダンなミュシャの作品を、目にしたことがあるでしょう。 彼の作品のリトグラフは大変人気があり、飾ることで、室内がまるでパリのモダンなカフェにいるような雰囲気を醸し出してきます。 その他にも商品のパッケージやカレンダーをパリで手掛けて、商業的に成功したミュシャは、実は祖国チェコを愛する人でした。
ミュシャの生い立ち
そんな彼は、どのような生涯を送ったのでしょうか?ミュシャは1860年に南モラヴィアのイヴァンチツェに生まれました。 モラヴィアとは、現在では聞かない国名ですがどこにあるのでしょう?現在はチェコの東部に位置していますが、複雑な背景を持つ地域でした。 モラヴィアは、8世紀から10世紀にわたりモラヴィア人が大帝国を作りましたが、その後は他国の支配が続き、彼が生まれた当時は、ハンガリー帝国の支配を受け、さらにハンガリー帝国がオーストリアに支配されてからは、オーストリアの支配下に置かれました。 そのような情勢が不安定で、支配が続いた地域に生まれたミュシャにとって、祖国とは特別な思いがある場所でした。 画家を志してチェコ、ウィーン、パリと職を転々としながら生活することになりますが、常に祖国のことを気にかけていたのです。 そして50歳の時、パリで充分に名声を富を築いた後は、祖国のチェコに帰国しているのは、その表れでしょう。
ミュシャの代表的な連作 スラブ叙事詩
帰国後、すぐに20枚からなる絵画の連作、スラブ叙事詩を発表しています。 これはスラブ民族の歴史を描いたもので、構想を抱いてから20年という大作です。 当時のチェコは、またしても不安定な状態で、支配していたオーストリア帝国が崩壊し、チェコスロバキア共和国が誕生、そしてその後ナチスの台頭によって、ふたたびチェコは支配を受けることになるのです。 そのような祖国の危機的状況にあって、彼は財政難を救うために、貨幣や切手を無償でデザインしたり、国章を作ったりしていました。 そのような行為がナチスの目をひき、チェコ人の愛国心をあおるとして、ナチスによるチェコでの最初の逮捕者になったのです。 逮捕がきっかけになって健康を損ね、彼は1939年に亡くなりました。 しかし彼の功績はチェコの人々の間で忘れられることはなく、戦後に美術館が建てられ、今も多くの人が訪れます。

細部に魂を込めた芸術家 アルフォンスミュシャ

ミュシャ展の画集でわかるポスター作家としての芸術性の高さ
アルフォンス・ミュシャはアールヌーヴォーの巨匠として世界中で愛されている画家です。 彼の名を一躍有名にしたのがパリにて作成した数多くのポスターです。 人気舞台女優サラ・ベルナールの美しい姿を写した宣伝画は多くの人の心を捉え、ポスターが単なる宣伝広告ではなく芸術にもなりうるのだということをはっきりと示したのです。 サラとの信頼関係は長く続き彼はサラと契約を結び更なる多くの傑作を生み出したのです。 その代表作が「ジスモンダ」です。 頭に花冠をつけたサラが錦糸の衣装を身にまとい、手に持った植物を見上げる堂々とした美しい作品です。 そのほかにも白い衣装がロマンチックな「椿姫」、黒いドレスが神秘的な「ロレンザッチオ」などサラ・ベルナールを題材にして多くの傑作を生み出しました。 血のついたナイフを手に目を見開いた「メディア」も圧倒的な存在感を放っています。
細部にこだわる細やかなミュシャの芸術
これらは美術館に飾るにふさわしいこまやかな仕上がりの芸術性の高いものになっているのです。 この画家は舞台衣装のデザイン画なども手がけてその才能をいかんなく発揮しています。 その緻密なデザイン画は彩り豊かで個性的で、女性を一番美しく見せるにはどのように演出したらいいかということを知り尽くしていたと言えるでしょう。 意外に知られていないのがミュシャがチェコ人でその作風がヴィザンティンの影響を受けているというところです。 ミュシャ展の作品を見ていると中心である人物像の周りを美しく彩るさまざまな装飾に目を奪われます。 東洋風の扇のような装飾だったり、細かいモザイクで覆われていたり、蔦のような美しい植物が装飾していたりと豊かな表現で中心の人物を引き立てています。
ビザンティン様式のデザインがミュシャに与えた影響
これらはかれが小さい頃から親しんだビザンティン様式の教会などのモチーフからイメージを得ていると言われています。 そしてこの画家の画集は見ていても見飽きず、年齢男女問わず多くのファンがいることもよくわかります。 一般の芸術絵画よりも人物やモチーフがデフォルメされているのでわかりやすく親しみがわきやすいのです。 モチーフも美しい女性が多く、眺めているだけで幸せな気持ちになることから、絵画購入して部屋に飾りたいという要望もとても多い画家です。 人気があるのは美しいバストアップのブロンドの女性がタバコの煙を燻らす「ジョブ」や、ルビー、トパーズ、アメジスト、エメラルドを表した連作「宝石」などです。 彩り鮮やかで部屋を幸福な美しさで飾ってくれます。

お支払い方法について

各種クレジットカード(分割払い/リボ払)・銀行振込・代金引換でのお支払いが可能です。 代金引換手数料無料!手数料は弊社が負担いたします。
配送方法について
※一部大型商品は除きます。
※北海道及び沖縄本島を含む、離島地域は別途送料見積もり致します。
大型商品、画材、金具など一部商品は送料無料の対象外となります。
当社指定のヤマト運輸、佐川急便、西濃運輸、日本郵政などでお届けします。

>>詳細はこちらをご覧ください。
返品について
万一、お届けした商品に不良などございましたら、配送業者または弊社へご連絡下さい。
当店の在庫状況を確認の上、同一商品または同等品と交換させていただきます。
ご購入後、定めた期間内の作品、額縁の交換も承っておりますので、ご安心下さい。
期限を過ぎた商品でも一部有償となりますが、作品の返品および交換
額縁の交換、修理などアフターサービスも行なっておりますのでご安心下さい。
>>詳細はこちらをご覧ください。

返品の送料・手数料の負担について
お客様の都合による返品の際は、往復送料・手数料など実費手数料はお客様にご負担頂きます。
>>詳細はこちらをご覧ください。
個人情報の保護について
お客様からお預かりした大切な個人情報 ( 住所・氏名・メールアドレスなど ) を、裁判所・警察機関等・公共機関からの提出要請があった場合以外、第三者に譲渡または利用する事は一切ございません。

ページトップへ