サラベルナールのポスターで有名となったアルフォンスミュシャ
アルフォンス・ミュシャのチェコへの愛国心
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アルフォンス・マリア・ミュシャは、フランスの有名女優だったサラ・ベルナールのポスターで知られている、アールヌーボーを代表する作家です。 みなさんも曲線を多用した花のモチーフに囲まれている女性が描かれた優雅でモダンなミュシャの作品を、目にしたことがあるでしょう。 彼の作品のリトグラフは大変人気があり、飾ることで、室内がまるでパリのモダンなカフェにいるような雰囲気を醸し出してきます。 その他にも商品のパッケージやカレンダーをパリで手掛けて、商業的に成功したミュシャは、実は祖国チェコを愛する人でした。 |
ミュシャの生い立ち
| そんな彼は、どのような生涯を送ったのでしょうか?ミュシャは1860年に南モラヴィアのイヴァンチツェに生まれました。 モラヴィアとは、現在では聞かない国名ですがどこにあるのでしょう?現在はチェコの東部に位置していますが、複雑な背景を持つ地域でした。 モラヴィアは、8世紀から10世紀にわたりモラヴィア人が大帝国を作りましたが、その後は他国の支配が続き、彼が生まれた当時は、ハンガリー帝国の支配を受け、さらにハンガリー帝国がオーストリアに支配されてからは、オーストリアの支配下に置かれました。 そのような情勢が不安定で、支配が続いた地域に生まれたミュシャにとって、祖国とは特別な思いがある場所でした。 画家を志してチェコ、ウィーン、パリと職を転々としながら生活することになりますが、常に祖国のことを気にかけていたのです。 そして50歳の時、パリで充分に名声を富を築いた後は、祖国のチェコに帰国しているのは、その表れでしょう。 |
ミュシャの代表的な連作 スラブ叙事詩
| 帰国後、すぐに20枚からなる絵画の連作、スラブ叙事詩を発表しています。 これはスラブ民族の歴史を描いたもので、構想を抱いてから20年という大作です。 当時のチェコは、またしても不安定な状態で、支配していたオーストリア帝国が崩壊し、チェコスロバキア共和国が誕生、そしてその後ナチスの台頭によって、ふたたびチェコは支配を受けることになるのです。 そのような祖国の危機的状況にあって、彼は財政難を救うために、貨幣や切手を無償でデザインしたり、国章を作ったりしていました。 そのような行為がナチスの目をひき、チェコ人の愛国心をあおるとして、ナチスによるチェコでの最初の逮捕者になったのです。 逮捕がきっかけになって健康を損ね、彼は1939年に亡くなりました。 しかし彼の功績はチェコの人々の間で忘れられることはなく、戦後に美術館が建てられ、今も多くの人が訪れます。 |



























