シャガールの生い立ち
愛の画家・シャガールの生い立ち
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マルク・シャガールは、1887年、20世紀ロシアで生まれました。 故郷は、ユダヤ人が多数を占める地域で、彼自身ユダヤ系、敬虔なユダヤ教徒の家庭で育ちました。 ユダヤ人として、第一次大戦、ロシア革命、第二次大戦と激動の時代を生きた彼は度々ユダヤを主題にした作品を描いています。 政治的混乱や失望のなか、生涯をかけて女性を愛し、妻が亡くなった後も愛や結婚をテーマに描き続けたシャガールは「愛の画家」として知られています。 最愛の妻ベラとの愛を描いた「誕生日」は結婚した年に描かれました。 浮遊感のある男性が愛おしい彼女に寄り沿う姿に深い愛情を感じます。 |
シャガールの代表的な作風
しかし、1944年第二次世界大戦中、迫害を逃れて亡命した先で最愛の妻は病死してしまいます。 シャガールは失意のどん底で数ヶ月は筆を握れない状態であったといわれています。 1947年にフランスに入り、その後南フランスのサン・ポール・ド・ヴァンスに住まう事を決意します。 その頃、近くに住んでいたピカソ、マティスとも交流をし、手厳しい意見交換をしていたそうです。 当時、一緒に住んでいた女性との愛を描いた「天蓋の花嫁」は、よく見ると男性に抱きつく女性の顔が半分ずつ別人になっています。 女性は、当時の恋人とベラを表していたといいます。 まだ、彼女への想いを全て忘れる事が出来なかったということでしょう。 パートナーが変わっても、彼にとってのミューズはただ1人だったようです。 それでも、1952年にはユダヤ人のヴァランディーナ・ブロツキーと再婚をして、シャガールは晩年まで精力的に描き続けます。 「サーカス」をはじめ「ダフニスとクロエ」「バイブル」などのリトグラフや銅版画を制作したのはこの頃です。 1960年代は、大作パリのオペラ座の天井画完成させます。 天使や恋人たちが花をまとい飛び交う姿は見るものを圧巻します。 |
シャガールの絵画をアートとして楽しむ
1977年にはルーブル美術館で存命中の作家として初の個展が開かれました。 生み出した絵画や陶芸、リトグラフは2000点にものぼると言われていますが、戦争や亡命という波乱の生涯で散逸したものも多いということです。 青を基調とした幻想的で抽象的な作風で、生涯、人間の一生をテーマとした作品を描いたシャガールは「愛だけが私の興味を引くものだから、愛を取り巻くものとしか私はかかわりを持たない。 」という彼らしい名言を残しています。 20世紀美術界に大きな足跡を残した愛の巨匠は、1985年南フランスの自宅で静かに息を引き取りました。 享年97歳でした。 |
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