シャガールの20世紀美術の遍歴
シャガールに見る20世紀美術の遍歴
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20世紀の美術を代表する作家と言えば、ピカソ等が挙げられます。 19世紀の印象派以降、絵画表現は抽象的、象徴的になっていきます。 こうした20世紀美術の流れの中で重要な人物にマルク・シャガールがいます。 マルクはロシアのヴィテブスクで1887年に生を受けました。 ヴィテブスクでの名前はモイシャ・ザハラヴィチ・シャガラウでした。 子供時代から芸術家を目指し、1910年には最初の渡仏を行いパリに5年間滞在しました。 マルクと名乗る様になったのはパリに渡ってからです。 この最初のパリ滞在時に、初期の代表作“Moi et le village”を制作しています。 邦題は“私と村”で、シャガールの美術表現における遍歴の中で重要な作品です。 |
シャガールのキュビズム様式
これは彼が故郷を思い描いた絵画で、キュビズムの様式で描かれています。 キュビズムとは、ピカソ等の20世紀芸術家によって創られた表現方法で、現代美術を考える上では欠かせない表現方法です。 キュビズムは、多数の角度から見た対象の形を一つの画面の中に纏め上げる手法で、後の抽象絵画等へと繋がる大きなターニングポイントとなります。 彼がいち早くこの手法を取り入れていたことは、その後の抽象表現にとっても重要なことです。 5年間パリに滞在した後故郷に帰ります。 1915年、最初の妻ベラと結婚し、1922年に再びパリへ戻ります。 この時期に、“豚の飼い葉桶”、“女性とバラ”、“村の通り”など、数々の作品を生み出します。 この後、最愛の妻を第二次大戦中に亡命していたアメリカで亡くし、1947年にはパリへ戻り、1950年にフランス国籍を取得しました。 その後のシャガールの描くテーマで重要な位置を占めるのが“愛”ですその作風は“愛”を描いたものに傾倒していったのです。 抱き合って空を飛ぶ恋人たちを描く絵画は数多く見られます。 これらの表現にはキュビズムの影響は少なく、柔らかで幻想的なタッチで描かれています。 |
シャガールのベラへの愛情
シャガールは1952年に再婚していますが、こうした“愛”のの作風は最初の妻、ベラへの思いから来ていると言われていますが、二人目の妻を描いた幻想的な絵画“日曜日”も残しています。 また、1964年に完成したオペラ座の天井画にも“愛”の姿が描かれています。 芸術が“自己表現の手段”となったのは19世紀以降のことです。 20世紀の美術は幾何学的なものも多く、より抽象的なものになっていきました。 こうした流れの中で、“愛”と“死”を見つめ続けたシャガールの表現は故郷ロシアと新天地フランスの間で揺れ動いていた様に見えます。 しかし、その柔らかな後年の表現は慈しみを感じさせるもので、20世紀美術の歴史の中に温もりを与える存在となっています。 |
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