クリムトのアートの源
クリムトに流れるアートの源を探る
![]() |
グスタフ・クリムトの絵を知らない日本人はいないのではないでしょうか。 それが彼の作品であるとは知らなくても、一度観たら脳裏に強く焼き付けられ、得も言われぬ感想を抱く、そんな独特の作風を持つ画家と言えます。 生い立ちは、帝政時代のオーストリアウィーン郊外、彫版師の父の元に生まれ、工芸学校に学んだ職人です。 7人兄弟でしたが、2人の弟も同じ学校に学び、後に彫刻や彫金の技術でクリムト作品の額などを手掛けていますので、そうした意味では、芸術のサラブレッド一家とも言えるでしょう。 その後美術館の装飾の仕事をしたり、劇場装飾の仕事をしたりしながら順風満帆に仕事を請け負い、ウィーンのブルク劇場の仕事では金功労十字賞を得るほどの功績を残しています。 |
クリムトの名画「接吻」「水蛇 I」「 アダムとエヴァ」
絵画としての出世作は第一回皇帝賞を獲得した「旧ブルク劇場の観客席」で、これはウィーン市議会からの制作依頼を受けて作られた興行の描写で、クリムトが美術界ですでに確立した地位と名誉を有していたことが伺えます。 そこまで完璧な出世を果たしたクリムトが、1896年、なぜ依頼されたウィーン大学講堂の天井画3枚に依頼者が望まないテーマを描いたのか、真意はわかりません。 結果、国まで巻き込む大論争となったこの絵は、残念ながら戦火によって消失してしまいましたが、この論争を機に革新的な分離派が古典芸術の枠を出て新しい美術を志す礎を築くことになります。 このグループがモダンデザインと言われる次のアートシーンを形作っていくのです。 その精力的活動により、残された絵画は有名なものが多数現存します。 「接吻」「水蛇 I」「 アダムとエヴァ」など、きらびやかで官能的、それでいて闇や陰といった不穏な空気を綯い交ぜにした独特の作風は、時に絶賛され、時に物議を醸してきました。 |
本物のクリムトの絵画を生で見よう
美術と商業、写実と様式といった相反する時代の流れの中にあり、愛や希望と共に死や病といった不安までもを絵の中に表現したその世界観は、当時のみならず現代も尚、人々の心を魅了して止まないのです。 日本でのクリムト展は、愛知県美術館で「黄金の騎士をめぐる物語」と題して開催されていました。 絵画購入者も今なお世界的に多く画集も数多く出版されていますが、やはり実物の前には何も敵うものはありません。 同展覧会は、愛知県の後には長崎県、そして栃木県宇都宮市と、持ち回りで開催されましたので、今後も身近に出会えるチャンスがあれば、是非都合を合わせて足を運んでみてはいかがでしょうか。 |