ゴッホの絵画にみえる背景と生い立ち
ゴッホの生い立ちに何を見るか
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オランダの画家であるゴッホは、世界的に有名であるにも関わらず、生前非常に不遇でした。 これは、彼の絵が生きている間にはほぼ評価されず、死後になってから高い評価を得たからです。 ゴッホ展は世界各地で開かれているので、彼の作品を美術館などで見ることもできるでしょう。 絵画購入の趣味がある人は何億円とも言われる彼の絵にお金を惜しまず、日本でもいくつか大きな会社の社長さんなどが本物を持っていました。 彼の作風は質実剛健にして力強い感じが見られ、水彩画も多く描きましたが、油絵が多く、何度も重ね塗りをして質感を出す手法が取り入れられています。 彼の絵を見た人の感想は、「荒いタッチの中に繊細な筆の動きと感情の表現を見る」ことが大半です。 それは、彼自身が非常に繊細な感受性の持ち主であり、生涯を通じて不遇にさいなまれた数奇な運命をたどったからに他なりません。 |
ゴッホの特別な感受性
彼の生い立ちは出生からしてかなり特殊であり、牧師の家の長男として生まれています。 小さい頃からかんしゃく持ちで、他の子とは違う感受性を持っていました。 学校に入ってから彼はすでに絵を描き始めていたらしく、当時から優れた才能の片鱗を覗かせています。 ただ、学校とは合わなかったようで、中途退学をして画商の所で働くようになりました。 この間彼はロンドンやパリなどを仕事で周り、さまざまな人との出会いを通じて孤独感を深めていくのです。 ただ、弟テオだけは理解者として認識していたようで、会ったり手紙のやり取りをしています。 その後、聖職者への道を志し、牧師の仮免許を取ったはいいが、そこで常軌を逸した行動をとり、牧師への道をあきらめざるを得なくなりました。 |
恋多きゴッホ
その後、テオに仕送りをしてもらいながら生活したり、実家で働かずに絵を描くなど、社会人としてあるまじき暮らしをするようになったのです。 オランダやベルギーなどを周り、大勢の女性に恋をしては破れることがこの頃の彼にとっては日常でした。 パリの弟と同居をしても、けんかばかりして一時期の仲の良さはありません。 ゴーギャンと同居をしたり、フランスのあちこちに転居していき、農村の旅館暮らしで彼の生涯は終わりました。 彼の残した絵は、ひまわりや星月夜、夜のカフェテラス、アルルの跳ね橋やアイリス、薔薇など、いずれも今の値段では数億の価値があるものばかりです。 しかし、当時は売れた絵はわずか一枚でしたから、いかに当時の彼の絵に対する評価が低かったかわかるでしょう。 |