奇抜なダリの絵画を生みだした背景
サルバドール・ダリ奇抜な作風で知られるその作品と生い立ち
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ダリ(本名 サルバドー・ドメネク・ファリプ・ジャシン・ダリ・イ・ドメネク)は、非常に奇抜な作品が多いですよね。 時計や、人物や、動物や、楽器などが溶けて変形している絵画は、美術の教科書で観たことがあるかたも多いことでしょう。 「記憶の固執」や、「柔らかい時計」や、「大自慰者」などは、とても有名ですね。 そんな作風の絵画を見て、なんだか奇妙な絵だという感想を持つ方は非常に多いです。 そして、そんな風変わりな絵画の世界がたまらなく魅力だと感じるかたも多いのです。 観る人に強烈なインパクトを与える彼の絵画は、世界中で大人気となっています。 各国でダリ展が開催されていますね。 |
ダリの風変わりな人物像
作品だけでなく、本人もかなり変わった人物でした。 彼の生前の写真も、特徴的なヒゲをはやしていたりと、変人の印象を受けますよね。 彼は1904年にスペインで生まれます。 子供のころから、相当に風変わりな子でした。 「私は天才を自覚している」や、「天才になるには天才のふりをすればいい」などといった名言からも、彼自身が自分が天才であることを自覚していたことが伺い知れます。 そのように変わった人間になってしまったのは、彼の生い立ちにあるという研究者もいます。 彼は7歳で死んだ兄の生まれ変わりとして育てられました。 彼の名前も、死んだ兄と全く一緒だったのです。 そのような環境で成長したことが、人格に大きな影響を与えてしまったのと考えられています。 のちに、彼は、「私は死んだ兄ではないことを証明したかった」いったようなこと述べています。 |
天才と呼ばれた神童サルバドールダリ
非常に変わった子供ではありましたが、幼いころから彼の画力は優れていました。 特に描写力に優れており、大人もびっくりするような写実的絵画をたくさん描いていたのです。 彼は、天才を演じていた、天才画家であったとも言えるのです。 そのような変わった人物であったからこそ、独自の世界を築きあげることができたのであり、シュルレアリスムの代表的な作家となることが出来たともいってよいでしょう。 彼は、「パブロ・ピカソ」や、「ブラック」や、「ポール・エリュアール」や、「アンドレ・ブルトン」などの画家たちから、たくさんの影響を受けていきました。 印象派や、キュビスムから影響が彼の芸術の世界をより変わったものへを導いていったのです。 彼は、「偏執狂的批判的方法」という独自のやり方で芸術の世界を追及していきました。 ダリは1989年に亡くなるまで、多くの芸術を生み出し続けました。 |